新型コロナウイルス その46 ハーメルンの笛吹き男
感染症の伝染性を発見したのはイスラムの医学者、イブン・スイーナ―デで1020年「医学典範」で隔離が感染症の拡大を食い止めること、体液が何らかの天然物に汚染されることで感染性を獲得すると記載しています。しかし、その物質が病気の直接原因になるとは考えていませんでした。14世紀にイブン・アル=ハティーブはイベリア半島のアンダルス地方における黒死病(ペスト)の流行で、衣類・食器・イヤリングへの接触が発症の有無を左右していること発見しました。これを受けて、イブン・ハティーマは「感染症は微生物がヒトの体内に侵入することによって発症する」との仮説をたてました。この考えは16世紀のイタリアの修道士で科学者のジローラモ・フラカストロの著書「梅毒あるいはフランス病」(1546年)や「伝染病について」(1546年)により、ルネサンス期のヨーロッパにも広く受け入れられることになりました。1684年、オランダのアントニ・ファン・レーヴェンフックが光学顕微鏡を開発し、初めて細菌の観察を行いました。フランスのルイ・パスツールは病気の中に病原体によって生じるものがあることを証明し、狂犬病のワクチンを開発しました。コッホは炭疽菌を発見し、感染症の病原体を特定する際の指針となる「コッホの4原則」を提唱して、近代感染症学の基礎となる科学的な考え方を提唱しました。日本でも、北里柴三郎が1894年にペスト菌を、志賀潔が1898年に赤痢菌を発見しました。感染症は文明とも深いつながりがあります。天然痘はすでに、起源前1157年に古代エジプトで死亡した第20王朝のファラオラムセス5世のミイラの頭部に痘庖が確認されています。梅毒はハイチのエスパニョーラ島の風土病で、1493年にコロンブス一行の船員が罹患し、ヨーロッパに持ち帰ったといわれています。エイズも元来アフリカの小部落の住民にあった「やせ病(Slim disease)」が1960年代のアフリカの住民の都市への大移動により蔓延し、さらに1970年代ヨーロッパ、アメリカへ、移民、船員、旅行者などによって運ばれ、麻薬常習者、同性愛者、売春などによって急速に世界規模に感染が拡大しました。コレラは元来インドのガンジス川流域、ベンガル地域の風土病でしたが、19世紀近代文明の進歩、とりわけ交通の活発化とともに、国際社会に蔓延していきました。結核は19世紀中頃からの産業革命、機械化による工場建設、農村から都市への労働者の増加、劣悪な環境下での集団生活と過酷な労働などの要因で、世界規模で集団発生が起こりました。マラリアはパキスタンの半砂漠に囲まれた都市、カラチから蚊の媒介とともに世界に広がりました。インフルエンザや黄熱病も同様です。ところで、グリム童話に「ハーメルンの笛吹き男」という童話があります。13世紀末、ドイツ北部の町ハーメルンの住民たちはネズミの大量発生に悩まされていました。そこに、ある男が現れ「ネズミを駆除しよう」と申し出ました。住民たちは喜んでその男にネズミの駆除を依頼しました。男が持っていた笛を吹くと、不思議なことに町中のネズミが路上に現れ、行進を始めました。やがて、ネズミたちは近くの小川に次々と飛び込んでいきました。これが大まかなあらすじですが、実はこれには恐ろしい続編があります。ネズミを駆除した男は町の住民に約束の報酬を要求しました。しかし、住民たちはそれを反故にしてしまいます。男は怒りに震えながら再び笛を吹き始めました。すると今度は、町中の子供たちが列を作り、行進をはじめました。そして、どこか遠いところに消えていきました。なんだか「PCR」=「笛吹き男」に思えませんか? 皆さん、くれぐれも笛吹き男に連れ去られないように気を付けましょう。新型コロナウイルスはペストとは違います。
2020.10.1. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友
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