新型コロナウイルス その49 終息への道
近代科学に大きな影響を与えた3人を上げるとすれば、ガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートン、アルベルト・アインシュタインで間違いないと思います。ガリレオ・ガリレイは1564年、イタリア、トスカーナ大公国領ピザで生まれました。1982年ごろからユークリッドやアルキメデスを学び、1586年に最初の科学論文「小天秤」を発表しました。1997年のケプラーあての手紙に、すでにコペルニクスの「地動説」を信じていると書いています。1609年、月が天体であることを確認し、その後木星を発見します。ピザの斜塔の上から大小2種類の球を同時に落とし、両者が同時に着地するのを見せた「落体の法則」は有名です。このころから、地動説を熱心に唱え始めますが、そのためにカトリック教会から有罪判決を受け、異端児扱いされます。1633年6月、ローマ、ミネルバ修道院での裁判で70歳になったガリレオ・ガリレイは裁判官の前で「・・・・そして今後は決して、口頭でも、著述でも、同様の疑いを抱かせることを表現しないことを誓います」と署名させられました。6年間取り調べられ拷問にかけられても、「それでも地球は動いている」と語ったことは有名です。アイザック・ニュートンは「新型コロナウイルス その38 パクスなき世界」で書いたので省きます。アインシュタインは1879年3月14日、ドイツ南西部のバーデン=ヴェルテンベルク州ウルム市で生まれました。5歳ごろまであまり人と会話することがなかったといわれています。しかし、数学には傑出した才能を示し、9歳ですでにピタゴラスの定理を理解し、12歳の時にはユークリッド幾何学や微分積分を独学しています。1895年、スイスの名門、チューリッヒ連邦工科大学を受験するも総合点が足らず失敗します。しかし、同校の校長がアインシュタインの数学と物理の点数が最高だったため、翌年の入学資格を与えました。ある晴れた日の昼休み、学校の裏にある丘に寝転んで空を眺めていました。いつの間にか眠り込んでしまい、不思議な夢を見ました。それは、自分が光の速さで光を追いかける夢で、彼は目覚めるとすぐさま思考実験を繰り返し、これがのちの相対性理論を生み出すきっかけになったといわれています。1905年はアインシュタインが26歳、「奇跡の年」ともいわれ、「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する5つの論文を立て続けに発表しています。しかし、これも全く当時の物理学会に受け入れられませんでした。1907年、有名な「E=mcの2乗」を発表し、1916年、一般相対性理論を発表しました。この理論には星の重力によって光が曲げられるという予言も含まれています(現在実証済みで、ブラックホールの発見につながっています)。1940年、アメリカ国籍を取得。1943年、アメリカ海軍省兵器部隊局の顧問に就任します。1945年、広島への原爆投下に衝撃を受け、「我々は戦いには勝ったが、平和を勝ち取ったわけではない」と演説しました。1955年4月11日、哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名しました。PCRの発見者、キャリー・マリスはPCRを感染症の診断に使ってはならないと繰り返し講演で述べています。もし生きていたら、アインシュタインと同じ行動をとっていたと思います。中国武漢で流行した新型コロナウイルスはすでに全く別のウイルスに変異しています。今、PCRで何を検出しているのか分かりません。PCRを続ける限り、コロナ騒動は収まりません。1塩基に3つのコドンが存在し、その塩基が10000個つながれば、3の10000乗個で、星の数ほどの遺伝子配列が存在します。これではいつまでたっても終息は見えません。
2020.10.9. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友
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