新型コロナウイルス その75 思考
思考の仕方に2つの方法があります。演繹法と帰納法です。演繹法とは一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法です。代表的なものに三段論法があります。「人は必ず死ぬ」という大前提、「ソクラテスは人である」という小前提から「ソクラテスは必ず死ぬ」という結論を導き出します。一方帰納法とは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法です。例えば、「人であるソクラテスは死んだ」「人であるプラトンは死んだ」「人であるアリストテレスは死んだ」「したがって人はすべて死ぬ」といった論法です。この両者の考え方に決定的な違いがあります。「俺のものは俺のものだ」(大前提)「お前は俺のしもべだ」(小前提)「お前のものも俺のもの」(結論)。演繹法の結論としては正しい結論ですが、小前提が間違っています。「人間はおならをする」「アイドルは人間だ」「アイドルはおならをする」も同じです。アイドルは別のキャラクターでもいいわけです。「新型コロナウイルスは隔離する必要がある」「誰でも新型コロナウイルスに感染する可能性がある」「したがってすべての人を隔離する必要がある」に間違いはありません。演繹法は前提が正しければ、必ず結論が正しくなりますが、前提が間違っていれば、結論も間違ってしまいます。「リンゴは木から落ちる」「本も落ちる」「お箸も落ちる」といった結果があったとします。そこから導かれる結論は「地球には引力がある」です。帰納法の場合は結果がすべて正しいわけではありません。「リンゴが落ちないこともある」「本が落ちないこともある」「お箸が落ちないこともある」、落ちる可能性がとても高いということです。しかし、導かれる結論「地球には引力がある」に間違いはありません。長年の経験に基づく「経験則」や、多くのデータから推察される「統計学」も帰納法で、究極は「自然科学」です。ペストが蔓延した中世ヨーロッパでは、今のように医療も科学も未熟で何が原因かわからず、神の呪いと恐れられていました。しかし、経験的にどうもネズミが原因ではないかということがわかってきて、ネズミを駆除するようになりました。カントは著書「純粋理性批判」の中で、「人間が見ている世界」と「世界そのもの」は別物だと言っています。DVDをDVDプレーヤーに入れて再生している様子を想像してみてください。DVDをいくら真剣に見ても、動画が観られるわけではありません。DVDプレーヤーがDVDの信号を変換して初めて、動画を見ることができます。DVDプレーヤーを人間に置き換えると、人間はもともと変換する能力を持っていなければなりません。これが「感性」や「悟性」と言われるものです。この引き出しを使って人間が対象物(リンゴ)を認識しているのではなくて、リンゴを「現象」としてとらえているに過ぎないと言っています。これは究極の演繹論です。もしも、このDVDプレーヤーに不具合があれば、画像を見ることはできません。ヒトゲノムはおよそ30億塩基です。そのうち機能しているのは約8%で、残りはジャンクDNA(ガラクタ遺伝子)です。そのおよそ半分がウイルス由来です。人の体には常在性ウイルスやその他の微生物もあり、その数は60億塩基にもなります。新型コロナウイルスは約3万塩基で、遺伝子全体のおよそ20万分の1です。世界の現状は、DVD=60憶塩基(混沌とした物自体)、DVDプレーヤー=PCR(アプリオリ)、現象=新型コロナウイルス感染症。これはDVDプレーヤーが100%正確に作動している場合に導かれる結論です。PCRは特異度が99%なので、1サイクル回すごとに擬陽性が1%出ます。およそ50サイクル回せば、すべての人が陽性になってしまいます。WHOはサイクル数に制限を設けていません。PCRを使えば、必ず陽性になるようにできています。前提も結論も100%間違っています。このままPCRを続ければすべての人が隔離の対象になります。
2020.12.26. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友
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