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新型コロナウイルス その98 邂逅


 今どこに行っても、若者たちはスマホに夢中ですが、私の高校時代はちょうど第二次安保闘争、学園紛争の真っただ中で、みんなで文芸部の狭い部室に夜明けまで居座って、日本の未来や自分たちの将来について語りあっていました。教職員室の前に座り込んでは、学校改革を唱えたりもしていました。そのため、学校の弁論大会はいつも大賑わいでした。福岡市では、鎌倉時代から800年続く博多祇園山笠が毎年7月に開催されます。7月15日には朝5時からスタートする「追い山笠」でクライマックスを迎えます。スタート地点の「櫛田神社」は学校から近く、学年に数人の担ぎ手がいます。この連中が教室で取っ組み合いの喧嘩を始めます。それを囲んでみんなが「やれやれー!」とはやし立てます。したがってこの期間、授業が中止になります。進学校でしたが、暗黙の了解で先生も見て見ぬふりをしていました。昨年と今年はコロナ禍で中止になりました。今考えると、私の中学高校時代は勉強よりも感性を磨いた時期で、友人と文学、哲学書を手当たり次第に読みました。志賀直哉、徳富蘆花、島崎藤村、森鴎外など明治の文豪はほとんど中学時代に読破しました。高校時代は、西田幾多郎の「善の研究」から「歎異抄」、旧約聖書、デカルトやハイデッガー、カントなどの難解な哲学書も一生懸命読みました。西田幾多郎の京都学派に三木清という哲学者がいます。「人生論ノート」で有名ですが、岩波文庫に「邂逅」という作品があります。少年時代を田舎で暮らし、初めて本というものに接したのが中学校に入ってからだというのは私と全く同じです。それまでは教科書だけが唯一の書物でした。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁されましたが、拘置所の環境が劣悪で疥癬による腎不全で、47歳という若さで壮絶な獄死を遂げています。三木清が初めて「本」というものに接したのが徳富蘆花でした。1年間は繰り返し蘆花を読んだと述懐しています。「邂逅」の中で「今日の子供たちは容易に種々の本を見ることができる幸福を持っているが、そのために自然、手当たり次第のものを読んで捨てていくという習慣になる弊害がある。これは不幸なことであると思う。もちろん教科書だけに止まるのはよくない。教科書というものは、どのような教科書でも、何等か功利的にできている。教科書だけを勉強してきた人間は、そのことだけからも、功利主義的になってしまう。」と述べています。三木は人生を砂浜にあって貝を拾うことに例えています。すべての人は広い砂浜でめいめいに与えられた小さい籠を持ちながら一生懸命貝を拾ってその中に投げ込んでいます。その拾い上げ方は人によって違います。無意識的に拾い上げたり、意識的に拾い上げたりします。ある人は習慣的に無気力に、ある人は快活に活発に働きます。ある人は歌いながら、ある人は泣きながら拾い上げます。また、戯れるようにであったり、真面目に集めたりします。この砂浜の彼方に大きな音を響かせている暗い海があります。それに気づいている人もいれば気づいていない人もいます。籠の中に次第に貝が満ちてきますが、何らかの機会に、ふいに籠の中を点検します。するとかつて美しいと思っていた貝が少しも美しいものではないことに愕然とします。一つも取るに足らないものばかりです。しかし、その時、海は破壊的な大波で人をひとたまりもなく深い闇の中に連れ去ってしまいます。「ただ永遠なるものと一時的なるものを確かに区別する優れた魂を持っている人のみは、一瞬の時をもってしても永遠の光輝あるいは貝を見出して拾い上げ、彼自ら永遠の世界にまで高められることができる」と述べています。広い砂浜は社会、小さい籠は寿命、大きな海は運命、そして強い波は死です。今から75年前、1945年9月26日に、独房で誰一人看取る者もなく絶命しましたが、今のコロナ禍の未来を予言しているようにも思えます。


2021.11.7. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友

 

 

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