脱炭素狂騒曲 その4 イギリス病
1960〜70年代のイギリスは、労使紛争の多さと経済成長不振のため、他のヨーロッパ諸国から「ヨーロッパの病人」と呼ばれた時代がありました。そうなってしまった原因は、イギリスの左派政党である「労働党」が政権を担い、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとした高度な社会福祉路線の実施・国有化による産業保護政策が原因といわれています。その時の国民の税負担率は98%にも上ります。その結果、国内製造業への設備投資を減退させることになり、資本は海外に流出し、国有企業は経済改善努力をしなくなってきました。こうしてイギリスは国際競争力を失っていくことになりました。これは経済政策の失敗によるものですが、もう一つ原因があります。1620年9月16日、メイフラワー号がイギリス南西部のプリマスから66日間の厳しい航海を経て、新天地アメリカのケープゴットに錨を下したのが、11月21日でした。乗組員は30名足らず。全員が疲労困憊、餓死寸前でした。これを救ったのが、アメリカンインディアンでした。アメリカンインディアンの祖先は、約2万5000年前にシベリアに進出したモンゴロイドです。そのころ陸続きだったベーリング海を渡り、約1万5000年前にはアメリカ本土にわたり、約1000年で南米先端に到達しました。助かった乗組員は、その後なんの理由もなくインディアンを殺戮し始めました。大航海時代を迎え、ヨーロッパから持ち込んだ伝染病、奴隷制度、レイプなどにより、1491年に1億4500万人いた先住民は1691年には人口の90〜95%、1億3000万人も減少しました。その間、日本は鎖国していましたが、資源封鎖され、1941年、太平洋戦争へと突入し、350万の命が失われました。朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラン・イラク、現在では、ウクライナを支援してロシアと代理戦争をしています。話はもとに戻りますが、「イギリス病」にかかったのは、この事実を当時のイギリスの教科書で子供たちに教えたことです。イギリスがかつて植民地時代にどんな残虐な行為をしていたかどうか、イラスト入りで詳細に記載していました。「人種差別に満ちていた侵略国家」として徹底的に教えられました。このため、自分の国に誇りを持てなくなってしまい、学力・意欲低下につながっていきました。戦争に負けた日本には、二度と日本が立ち直れないようにGHQにより「日教組」が作られ、私達が子供の頃は、日本は「侵略国家」で、東南アジア・大平洋地域で悪いことばかりした、と教えられました。このWGIP(日本人洗脳プログラム)により、日本は二度とアメリカには歯向かえないようになりました。くしくも、今日はエノラ・ゲイが広島に原子爆弾を落として78年目に当たります。犠牲者は34万人、被爆者健康手帳を持っている人は11万人です。犠牲になったのは軍人ではなく民間人で、単なる虐殺行為です。アメリカの原爆展では、虐殺された遺族の遺品や残骸の展示はいまだ行われていません。エノラ・ゲイのしたことは当然だと、アメリカ国民の殆どが思っています。イギリスでは1979年の総選挙で保守党が政権を奪回し、鉄の女マーガレット・サッチャーが首相につくと、国有企業の民営化、税制改革、規制緩和、労働組合の弱体化を推し進めました。それに加え、1988年には「教育改革法」で「教育水準の向上」と「自虐的偏向教育の是正」の2つの政策を断行しました。強力なリーダーシップにより10年かけて、地道に国民を説得し続け、抵抗勢力を押し切り、見事に正常な教育を復活させ、「イギリス病」を克服しました。地球温暖化・脱炭素政策は、資源封鎖され、太平洋戦争へと向かった時の日本と全く同じです。このままいけば、「イギリス病」の二の舞になりかねません。何としても阻止する必要があります。
2023.8.6. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友
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