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邂逅 その5 黒い海
まだ大学院生の頃、関東の病院に1年間出張していました。なんでも、教授がそこの院長と同級生という縁で、医局から1年交代で若い医師に経験を積ませるのが目的でした。表向きはそうですが、ただ病院の医師が足りなかっただけです。病床は200床あまりで、二次救急を扱う病院でした。大学病院から一人だけ放り出された感じで、土地勘もなく、友人もいませんでした。そもそも東京がどういうところかも知りませんでした。そのころ築地にがんセンターがあり(現在のがんセンター中央病院)、毎週木曜日に「木曜読影会」という、胸部レントゲンを読影する会がありました。関東県内から毎回約30名近くの呼吸器内科医が集まります。がんセンターの医師も参加していました。大きなシャーカステンに胸部レントゲン写真が1枚だけ掛けてあります。なんの予備知識もなく、指名された一名の医師が30分ほどかけて所見を述べます。肺がんの症例が多いのですが、時に間質性肺炎、びまん性肺疾患、COPD、じん肺などもあります。しかし、目的は病名あてクイズではありません。正常なレントゲンもあり、正確に気管支の枝を読むことです。右の肺は上葉、中葉、下葉に枝分かれし、左は上葉と下葉に分かれています。中枢気道から中間幹を通って、全体で左右、10区域ごとに分かれます。それぞれの区域に2〜3本の枝があり、末梢まで23回枝別れしていきます。この1本、1本を間違いがないかどうか、全員でチェックします。その議論は1時間半〜2時間にわたって続きます。大学病院でさんざん胸部レントゲンの読影をしていましたが、こんなに丁寧に読影をしたことはありませんでした。後でわかったことですが、ここに来ていた医師は、その後、日本呼吸器疾患学会(今の日本呼吸器学会)の重鎮となり、がんセンターの総長を始め、各大学の教授や部長になった人たちばかりです。1950〜1970年代にかけて、日本は高度経済成長期をむかえ、サラリーマンの給料は10倍になりました。しかし、第1次オイルショックが起こり、バブルは崩壊します。その後残されたのが、大気汚染などの公害です。GDPの急成長、生活水準の向上の代わりに、重化学工業や自動車によりSO2、NO2が高濃度に排出され、東京、川崎、大阪湾岸で光化学スモッグが頻発します。子供の集団下校、屋外活動の中止が日常的に起きた時代でした。四日市ぜんそくに代表されるように、慢性気管支炎(COPD)、喘息などの呼吸器疾患が増加しました。1971年に 環境庁が発足し、企業の脱硫装置、低硫黄燃料、自動車排ガス規制により、大気は徐々に改善していきました。このころ始まったのが、がんセンターの「木曜読影会」です。関西では羽曳野病院などを中心に「びまん性肺疾患研究会」などが発足し、100人規模の呼吸器内科医が毎月研究会を行っていました。がんセンターでおこなわれていた「木曜読影会」の関西版です。東京湾の夢の島マリーナにヨットを持っている先生がいて、ある日、数人でクルーズすることになりました。ヨットを繰り出して、最初に思ったのは、潮のかおりがしなかったことです。海水はヘドロで汚れていました。まるで「黒い海」です。世界で初めて光化学スモッグが報告されたのは、産業革命後の1952年12月5日のロンドンスモッグで、5日間で4,000人が死亡しました。10年ほど前から中国北京の大気汚染が話題になっています。2022年の北京冬季オリンピックで一時よくなりましたが、今だにPM2.5は東京の約7倍です。経済成長、エネルギー消費に伴って、文明が栄えていくので、大気汚染の問題は避けて通れません。現在、東京の高い建物のどこからでも富士山が見えます。当時年間1万人ほどいた喘息死は、現在1,000人近くになりました。東京湾のタチウオも釣って帰って、家で調理して食べることができます。40年程前に東京湾をヨットでクルーズした時の光景からは想像もできません。
2026.2.4. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友
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